
106万円の壁撤廃を経営判断としてどう備えるか
Executive Summary
- 106万円の壁撤廃は、労務だけでなく経営課題です。
- 社会保険料の増加は、人件費・利益・資金繰りに影響します。
- 負担増だけでなく、採用・定着の改善機会として捉えることも重要です。
- 勤務時間、価格、人員配置、業務効率化を一体で見直します。
- 早めに相談・試算することで、経営の選択肢を増やせます。
導入
106万円の壁撤廃は、会社にとって負担増に見えます。確かに、社会保険料の会社負担は増える可能性があります。しかし、これを単なるコストとしてだけ見ると、判断を誤ることがあります。
本稿では、制度改正を経営判断としてどう捉えるべきかを整理します。人件費、採用、定着、価格、業務効率化を一体で考えることで、守りの対応から前向きな経営改善へつなげることができます。
制度変更は避けられません。だからこそ、早く備えた会社ほど、従業員との信頼関係を保ち、採用にも活かしやすくなります。
1. コスト増だけで判断しない
社会保険料負担が増えることは、経営上の大きな論点です。対象者が増えれば、会社負担分の保険料が毎月発生します。人数が多い会社ほど、年間の人件費に大きく影響します。
ただし、負担を避けるためだけに勤務時間を減らすと、現場の人手不足が悪化する可能性があります。
たとえば、パート・アルバイトの勤務時間を一律に週20時間未満へ調整すると、次のような問題が起こりやすくなります。
- 繁忙時間帯の人員が足りなくなる
- 社員や店長、責任者の残業が増える
- 新たな採用が必要になり、採用費が増える
- 新人教育の負担が増える
- サービス品質や納期に影響が出る
- 既存従業員の不満や離職につながる
つまり、社会保険料を避けるための対応が、結果として別のコストを生むことがあります。
会社にとって大切なのは、社会保険料の増加だけを見るのではなく、現場運営、採用、定着、売上機会まで含めて判断することです。
また、社会保険に加入することは、従業員にとって必ずしもマイナスだけではありません。本人負担が発生するため短期的には手取りが減る場合がありますが、厚生年金に加入することで将来の年金が増える可能性があります。健康保険の給付が広がる場合もあります。
経営者としては、「会社負担が増えるから困る」という視点だけでなく、「従業員が安心して働ける会社にするにはどうするか」という視点も必要です。
2. 採用・定着への活かし方
中小零細企業では、大企業と同じ賃金水準や福利厚生をすぐに整えることが難しい場合があります。その中で、社会保険にきちんと対応する姿勢は、採用と定着の信頼材料になります。
求職者は、給与だけでなく「安心して働ける会社かどうか」を見ています。特に、長く働きたい人、扶養を外れてしっかり働きたい人、将来の保障を重視する人にとって、社会保険への対応は大切な判断材料です。
会社が制度に沿ってわかりやすく説明できれば、応募者や従業員に安心感を与えられます。
たとえば、求人票や面接では、次のような表現が考えられます。
| 場面 | 伝える内容 | 伝え方の例 |
|---|---|---|
| 求人票 | 社会保険対応 | 勤務条件に応じて社会保険加入あり。安心して長く働ける環境を整えています。 |
| 面接 | 加入条件 | 週20時間以上の勤務など、条件に該当する場合は社会保険加入の対象になります。 |
| 入社時説明 | 働き方の相談 | 扶養や勤務時間に不安がある場合は、個別に相談できます。 |
| 既存従業員向け説明 | 保障のメリット | 本人負担はありますが、将来年金や健康保険の保障が広がる可能性があります。 |
一方で、従業員の中には扶養や手取りを重視する人もいます。全員に同じ説明をするだけでは、不安を解消できないことがあります。
そのため、会社としては「加入する人」「勤務時間を調整したい人」「もっと働きたい人」それぞれの事情を聞くことが大切です。
採用と定着につなげるには、制度対応を単なる事務手続きで終わらせないことです。従業員との対話を通じて、働き方の選択肢を一緒に考える姿勢が信頼につながります。
3. 経営者が決めるべきこと
106万円の壁撤廃への対応では、経営者が決めるべきことがいくつかあります。労務担当者や経理担当者だけに任せるのではなく、会社全体の方針として判断することが必要です。
特に重要なのは、人件費、働き方、価格、採用の4つです。
| 判断項目 | 決めること | 確認するポイント |
|---|---|---|
| 人件費 | 社会保険料増をどこまで見込むか | 対象者数、会社負担月額、年間負担額 |
| 働き方 | 週20時間以上勤務をどう設計するか | 本人希望、現場必要人数、繁忙時間帯 |
| 価格 | 負担増を価格や契約に反映できるか | 利益率、顧客理解、競合状況 |
| 採用 | 社会保険対応を採用力に変えられるか | 求人票、面接説明、定着施策 |
たとえば、社会保険料の会社負担が年間100万円増える見込みであれば、その100万円をどこで吸収するのかを考える必要があります。
吸収方法には、次のような選択肢があります。
- 価格改定により売上単価を上げる
- 業務効率化で作業時間を減らす
- 人員配置を見直す
- 採用条件を見直し、定着率を高める
- 一部業務を外注または標準化する
- 利益率の低い業務や商品を見直す
ここで注意したいのは、社会保険料だけを切り離して考えないことです。人件費を抑えるために勤務時間を減らしても、その結果として売上が落ちたり、社員の残業が増えたりすれば、別の形でコストが発生します。
制度改正への対応は、会社の利益構造を見直す機会でもあります。人手に頼りすぎている業務はないか、価格が適正か、採用後すぐに辞めてしまう原因はないかを点検しましょう。
4. 相談前に整理する項目
社会保険の制度は複雑です。自社だけで判断しようとすると、不安が残ることもあります。特に、対象者が複数いる場合や、契約変更、就業規則の見直し、従業員説明が必要な場合は、専門家への相談が有効です。
相談前に情報を整理しておくと、話が早く進みます。
準備しておきたい項目は、次のとおりです。
| 項目 | 準備するもの | 相談で確認できること |
|---|---|---|
| 従業員情報 | 氏名、雇用形態、学生区分、雇用期間 | 対象者に該当する可能性 |
| 勤務時間 | 週所定労働時間、直近の実勤務時間 | 週20時間以上に該当するか |
| 賃金情報 | 時給、月額賃金、各種手当 | 保険料試算の基礎 |
| 契約書類 | 雇用契約書、労働条件通知書、就業規則 | 契約と実態のズレ |
| 経営情報 | 人件費率、利益率、採用予定、価格改定予定 | 経営への影響と対応策 |
特に重要なのは、契約上の勤務時間と実際の勤務時間のズレです。契約書では週20時間未満でも、実態として週20時間以上働いている場合は、対応が必要になる可能性があります。
また、従業員説明の内容も事前に相談しておくと安心です。扶養、税金、社会保険料、将来年金などは、個別事情によって変わるため、会社が断定的に説明しすぎるとトラブルになることがあります。
相談時には、次のような質問を用意しておくと実務に役立ちます。
- 自社では誰が対象になりそうか
- 会社負担はいくら増える見込みか
- 雇用契約書の見直しは必要か
- 就業規則に追加すべき内容はあるか
- 従業員説明では何を伝えるべきか
- 勤務時間変更を行う場合の注意点は何か
- 採用や価格改定とどう連動させるべきか
2026年10月まで時間があるように見えても、対象者確認、試算、説明、契約整備には時間がかかります。今のうちに準備を始めることで、選択肢を増やせます。
5. Decision Brief:経営者共有用
最後に、106万円の壁撤廃に向けた経営判断を整理するためのブリーフをまとめます。社内で方針を話し合う際のたたき台として活用してください。
| テーマ | 106万円の壁撤廃への対応 |
|---|---|
| 推奨アクション | 対象者確認と社会保険料の会社負担試算を先行実施する |
| 主要根拠 | 2026年10月に賃金要件撤廃予定。今後は週20時間以上の勤務が重要な確認ポイントになる。企業規模要件も段階的に縮小される予定。 |
| 財務影響 | 対象者数 × 会社負担月額 × 12か月で年間負担を概算する。対象者が多い場合は、利益と資金繰りへの影響を確認する。 |
| リスクと対策 | 人件費増、勤務時間調整、従業員不安、離職、採用費増加が主なリスク。早期説明、個別面談、勤務設計の見直しで対応する。 |
| タイムライン | まず90日で対象者一覧、保険料試算表、従業員説明資料を整備する。 |
| 担当 | 経営者、人事労務、経理、現場責任者 |
| 測定KPI | 対象者把握率、試算完了率、説明実施率、個別面談実施率、離職率、採用充足率 |
| 代替案と棄却理由 | 一律シフト削減は、現場の人手不足や離職を招く可能性があるため慎重に判断する。 |
| 次の一手 | 自社の対象候補者数と年間負担額を試算し、経営方針を決める。 |
このブリーフで重要なのは、社会保険料の増加だけを見ないことです。人件費、現場運営、採用、定着、価格戦略を一体で考えることで、制度変更への対応を経営改善につなげやすくなります。
行動経済学の視点:負担増は「損」に見えやすい
106万円の壁撤廃は、経営者にとって「社会保険料が増える話」として受け止められやすいテーマです。これは自然な反応です。
人は、得られる利益よりも、目の前の損失を大きく感じやすい傾向があります。社会保険料の会社負担は数字として見えやすいため、「損が増える」と感じやすくなります。
しかし、見えにくい損失もあります。たとえば、勤務時間を減らした結果、人手不足で売上機会を逃すことがあります。採用を増やすことで、求人費や教育費が増えることもあります。従業員説明が遅れて離職が増えれば、現場の安定性も下がります。
つまり、見えるコストだけでなく、見えにくいコストも含めて判断する必要があります。
経営判断では、次のように問いを変えることが有効です。
- 社会保険料をどう避けるか
- ではなく、増える負担をどう吸収するか
- 従業員が安心して働ける体制をどう作るか
- 採用と定着にどう活かすか
- 価格や業務効率をどう見直すか
制度変更を避けることはできません。しかし、準備の早さと説明の丁寧さは、会社側で選ぶことができます。
まとめ+要約
- 106万円の壁撤廃は、労務だけでなく経営課題として捉える必要があります。
- 社会保険料の会社負担は、月額だけでなく年間額で把握します。
- 勤務時間を一律に減らす対応は、人手不足や離職につながる可能性があります。
- 制度対応を丁寧に行うことで、採用・定着の信頼材料になります。
- 人件費、価格、採用、人員配置、業務効率化を一体で見直すことが重要です。
次の一手: 対象者数と年間負担額をもとに、経営判断の材料を揃えましょう。
FAQ
Q1. 社会保険料負担が増えるなら、採用を控えるべきですか?
一律に採用を控えるのではなく、必要な人員と利益計画を見直すことが大切です。採用を止めることで現場が回らなくなり、売上機会を失う場合もあります。
Q2. 従業員には会社負担の話も伝えるべきですか?
必要に応じて伝えてよいですが、会社都合だけに聞こえないよう注意が必要です。本人の手取り、将来年金、健康保険の保障など、従業員に関係する内容も合わせて説明しましょう。
Q3. 相談すると何が整理できますか?
対象者の確認、社会保険料の会社負担試算、雇用契約や就業規則の見直し、従業員説明、今後のスケジュールなどを整理できます。
Q4. 小規模企業でも今から準備する意味はありますか?
あります。企業規模要件は段階的に縮小される予定です。対象時期が先でも、今から従業員の勤務時間や人件費を確認しておくことで、将来の対応がしやすくなります。
出典
-
厚生労働省「社会保険の加入対象の拡大について」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000147284_00021.html -
厚生労働省「年金制度改正法に関する資料」
https://www.mhlw.go.jp/content/12500000/001633788.pdf -
厚生労働省「社会保険適用拡大に関する説明資料」
https://www.mhlw.go.jp/content/12500000/001537487.pdf -
弁護士法人Authense法律事務所「【2026年10月施行予定】106万円の壁が撤廃へ。中小企業がすべき対応とは」
https://houmu-pro.com/legalrevision/384/
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